エッセイ

青い庭園の朝(2010)

数年前、私は米国フィラデルフィアのある聖徒の家を訪問した。その家族と一緒に礼拝をささげ、温かい愛の談笑を交わした。そして、彼らは私を裏庭に案内した。その庭にはちょうど、その家の鹿のように美しく育った2人の姉妹が木の下に座って、クラシック音楽を流しながら一生懸命読書をしていた。新緑で四方が覆われた5月、庭園はすべて、花の香りで香しく爽やかで、木の上では名前の分からない鳥たちが良い時節を賛美していた。まるで一幅のルノワールの絵を思い出させる場面ではないか!

私は、雰囲気に浸って庭に出た。花も草も木も触り、深い幸福感に浸った。そして、私もいつかこのような庭がある家で暮らし、青い心で希望の象徴である高い空を見ながら音楽鑑賞もし、鳥たちも歌について幸せを歌って暮らし…。想像の翼を広げた。

しかし、都心の真ん中のアパートで暮らしている今、庭園がある家ではないとしても、毎日朝と夜、家の外の数本の木から聞こえる鳥たちの歌声に幸せを感じ、「主なる神が造られたすべての世界」の賛美を歌ってみる。

主なる神が造られたすべての世界、私の心の中に描いて見る時

天の星が鳴り響く雷声、主の権能、宇宙に満ちた

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する

森や険しい山の渓谷でさえずるあの鳥の鳴き声と

静かに流れる小川は、主のみわざを歌う

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する

主なる神、獨生子、惜しみなく私たちのために送ってくださった

十字架で血を流して亡くなられた主、私のすべての罪を救ってくださった

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する

主の高さと偉大さを私の霊魂が賛美する 賛美歌に現れた神様の美しいみわざが目の前に描かれると、心の奥からはいつの間にか、感謝の祈りが漏れ出てくる。